お笑いコンビ・たくろうのツッコミ担当として活躍しているきむらバンドさん。
きむらバンドさんがは松山大学に進学しましたが、卒業式に中退していることをご存じでしょうか?
今回は、きむらバンドさんがなぜ卒業式に中退したのかなど、学歴や学生時代のエピソードについてまとめていきます。
きむらバンド(たくろう)は松山大学中退!中退した理由は?

松山大学に入学したきむらバンドさんは、当初バンド活動を続けるつもりでした。
しかし、大学で出会った「落語研究会」の空気に惹かれ、お笑いの道に進むことになります。
加入後すぐに頭角を現し、サークルの全国大会に進出したり、地元ケーブルテレビの特集を受けたりと話題になりました。
その一方で、大学の授業にはほとんど出ておらず、いわゆる「サークルに全振りした大学生活」。
その結果、単位が取得できず、なんと卒業式当日に“中退届を提出することになった”と本人が語っています。
「卒業式に中退」は珍しすぎるエピソードですが、当時の爆発的な人気と活動量を考えると納得できる部分もあります。
きむらバンド(たくろう)は愛媛で人気者?

きむらバンドさんは松山大学在学中、愛媛県内のケーブルテレビから度々取材を受ける“ローカルスター”でした。
- 地元で若手お笑い芸人がほとんどいなかった
- 落語研究会の活動が急成長して話題になった
- 大会で結果を出し、大学の広報にも大きく取り上げられた
このような背景から、大学2年〜4年にかけて、きむらバンドさんは地域番組に多数出演しました。
大学の廃部寸前だった落語研究会は、彼の活躍によって部員が一気に20人へと増え、「大学の救世主」と言われた時期もありました。
愛媛ではすでに“顔が知られた存在”だったため、NSC入学前から将来を期待されていたようです。

松山大学の特徴と偏差値は?

松山大学は愛媛県で歴史ある私立大学で、学部にもよりますが、偏差値は35〜40程度です。
図書館の蔵書数は中四国トップクラスを誇り、地域からの信頼が厚い大学です。
きむらバンド(たくろう)の高校は愛媛県立松山中央高校!

ここでは「サディスティック・ジョーカー」というバンドを結成し、音楽活動に没頭していました。
大学で「きむらバンド」という名前をつけられるほど、音楽への熱量は相当なものだったようです。
高校時代のエピソードとして有名なのが、
- 進路を決める時期に「バンドでプロを目指す」と思い始めた
- しかし周囲に止められ大学へ進学
という、音楽か学業かで大きく揺れた時期があったこと。これが後に「お笑い」という第三の道に進むきっかけにもなりました。

きむらバンド(たくろう)の中学・小学校時代
幼少期は鬼北町の田舎で育ち、10歳で松山市へ転校したというエピソードがあります。
クラスメイトが10人ほどの環境から都会へ移り、そのギャップでいじめられそうになった時、
きむらバンドさんは以下のようにした!と話していました。
- とにかく笑いを取って“いじめ回避”
- ヤンキーには太鼓持ちして気に入られる
- 「笑いは生きる術」と本人が語るほど必死だった
この「空気を読む能力」こそ、現在の落ち着いたツッコミの源になっています。
きむらバンド(たくろう)のプロフィール・経歴
| 本名 | 木村 太一 |
|---|---|
| 生年月日 | 1990年1月28日(35歳) |
| 出身 | 愛媛県松山市 |
| 身長 | 170cm |
| 所属 | 吉本興業 |
| 趣味 | 木村拓哉鑑賞、音楽、ボートレース |
松山大学を中退後、1年間フリーターとして働き、2014年にNSC大阪校へ入学しました。
同期にはカベポスターやゆめっち(3時のヒロイン)などがいます。
2016年に赤木裕さんと「たくろう」を結成しました。
コンビ名は、推しの名前を組み合わせ、
木村拓哉(きむらバンド)+イチロー(赤木)=たくろう
としたそうです。

まとめ
きむらバンドさんの芸風は、田舎での生活・松山中央高校での音楽・松山大学での落語研究会・ケーブルTV出演という、愛媛での経験がすべてつながって形作られています。
- 松山大学 → 落語研究会で才能開花しローカルスターに
- 高校時代 → バンド活動で芸名のルーツができた
- 中学・小学校 → 笑いで生き抜く術を体得
- 大学中退 → NSC入学、たくろう結成へ
愛媛での25年間が、今の独特なキャラクターとツッコミスタイルを育てたと言えるでしょう。
M-1でも注目される「たくろう」の活躍から今後も目が離せません。

